世界中のモンテッソーリ教師と語り合いました
イタリア人で女医だったマリア・モンテッソーリ。
世界中でその教育メソッドのトレーニングが受けられます。
彼女の最大の発見の一つは、
子どもは、人種も生まれた場所も文化も超えて存在する。
ということ。
だから私たちモンテッソーリ教師も、その垣根を超えて、全て子どもに向き合い、子どもから学ぶ存在としてあること。
そんな奇跡的な教育との出会いは、世界に及びます。
世界中でこのモンテッソーリ教師と共に学べるのは、この教育法ならでは。
その教員養成のシステムを作ったマリア・モンテッソーリはすごい。
先週土曜日に、AMI(国際モンテッソーリ協会)の主催する
“Montessori Everywhere”というイベントに参加し、
世界中から集まったモンテッソーリ教師と共に、「大人のあり方」について熱い議論を交わしてきました。
最初の講義で最も印象的だったのは、
“Presence is the biggest gift we can give to our children.”
(子どもの前に存在することこそが、私たちが子どもに与えることのできる最大の贈り物だ)
英語のPresentは、日本語のプレゼント(贈り物)という意味のほかに「存在する」という意味があります。
そこに存在するだけで「プレゼント」という考え方、とても素敵だと思いませんか?
大人は、仕事やスマホ、予定や未来のことに夢中で「その場」に「ただ存在する」ことが苦手です。
今ここを生きている子どもにとってみれば、わからない未来のこと、小さな画面に映る何かなんて関係ありません。
目の前の大人が、自分と共にただそこにいてくれる。それが最大の喜びであり、学びであり、生きることなのです。
モンテッソーリ教師は、子どもと共にいるときにはできるだけその肉体と精神を子どもの為に存在させ、共に過ごすことを大切にします。
簡単そうでこれがなかなか難しい。私もよく「ちょっと待ってね」「今これしてるから」とか、目を合わせないまま返事したりとか、しちゃってます。意識することが大切ですね。
後半は、少人数に分かれてのBORでのセッション。議題は、
1.「大人の心得(準備)」とはどのようなものか。
2.大人が精神的に心構えしていく中で、私たちの先入観や偏見がどんな邪魔をしているか。
3.大人が世界の「多様性」を称賛するために、私たちがいかに大人の学び場を作れるか。
の3点について。
全て英語での議論だったので最初はドキドキしていましたが、喋り出したら止まらなくなってしまいました(笑)。
その中でも熱く語りあったことは、誰しも「完璧」ではない、ということ。
大人の完璧主義が子どもの最大の障壁の一つであることは、私もいつも言っていることです。
完璧でいようとする姿勢は、一見良いように見えるのですが、実は「◯◯しなければならない」という固定観念や思考停止の状態であることもあります。そして、自分が完璧でいようとすればするほど相手にもそれを求め、苦しめてしまい、また自分も跳ね返ってきて苦しいのです。
自分も、他人も「完璧ではない」ということを認め、過ちから学ぶことでこそ、成長のチャンスです。間違えないと学べない!
“Error is out biggest friend if we were open enough to admit it”
(間違いは最大の友達。もし十分に心を開いてそれを認められるなら。)
そして、
“Let us be ourselves, that will allow the child to be themselves”
(大人がありのままの自分でいること、そうすることでこそ子どもをありのままに受け止めることができます。)
大人は、文化や経験が邪魔をして「自分が教えられたように」子どもに「教え」ようとしてしまいます。
でも、子ども達は私たちの生きた時代とは違う時代に生きる人間になるのです。
この先の時代を生きる子ども達に、どのような「生きる力」をつけていって欲しいと願いますか?
目の前の子どもに、真摯に向き合い、謙虚な心で「子どもの姿から学ぶ」姿勢を、大人がもっていたいものですね。
今日はすごくいい勉強とディスカッションになりました。
次回は11月。ご興味ある方はぜひ一緒に参加しましょう!
(おまけ)
オランダには、マリア・モンテッソーリの眠るお墓があります。
家から1時間くらいで行ける場所にあったので、8月31日、マリア・モンテッソーリの誕生日に合わせてお参りに行ってきました。
テキストやモンテッソーリの本によく挿絵で載っています。本物を見れて感慨深くなりました。
生きていたら151歳。
出会いと、学びと、子どもたちに感謝です。